4月。僕は窓際で山尾三省の本を読んでいた。カーテンの隙間から光が射している。ソファーで山岸さんが寝ている。

上の階から文殊ちゃんが降りて来て、なんか苛々すると言った。僕に言ったのか独り言なのか分からなかったが、その苛立ちがどこから来ているのか知らないといけないような気がした。本を閉じて、何かあったのと聞いた。彼女はコップにお茶を注ぎながら「いや、なんだか」と言った。いや、なんだか。心の中で呟いてみる。テーブルにはビール缶が散乱している。
「私、子供のころ凧揚げが好きで、正月はよくお父さんと近くの公園に行って遊んでた」と文殊ちゃんが言った。山岸さんの寝息がうっすら聞こえてくる。「でも1度だけ、糸が木の枝に絡まって取れなくて、怒って泣いて帰ったことがあって、それを思い出して、それで、ちょっと苛々って」と少し首を傾げた。素敵な思い出だね、と僕は言った。彼女は今思い出した過去の記憶にただ苛々という感情を無理矢理くっつけたように思えた。

山岸さんと川沿いを散歩した。桜が咲いていた。それを見ながら10年後のことを考えた。この世界も僕も、今よりマシになっているだろうか。公園で老人たちが将棋を指している。「桜、落ち着くな」と山岸さんが息を吐くように言った。
「俺が死んだら世界はどうなる?」
どうもなりませんよ、と僕は言った。山岸さんの頬には小さな黒いシミがあることに気づいた。「クラシックを聴くとな、こう、心がすーっとなる時が稀にあるだろう。あの瞬間、あの瞬間だけ生きてる心地がするんだよ」と山岸さんは言った。僕は山岸さんを殴りたくなった。一瞬、桜が真っ赤に見えた。家族連れが桜の木の下で記念撮影をしている。もう1度10年後のことを考えた。このままではダメだろう。運動をしなければならないと思った。市民運動でも、個人運動でもどちらだっていい。地を這って進め。
足下に目を遣った。靴紐が解けていた。