サイの気持ち

みなもわかっているとは思うが俺は強いんだ。わかるか。この動物園の中で俺は1番強いんだ。そこらへんの奴らなんかよりずっと強いんだ。

でも、人間どもらは俺を馬鹿にする。馬鹿にするな。何を馬鹿にするかって?「サイのこの強靭な角は実は髭なんですぅ」なんて言って馬鹿にすんだ。いつだって人間はそうだ。

この角が出来上がるまでに何年かかったんだと思ってんだ。俺も何年かかったかなんて数えちゃいないが結構かかってんだ。今でも成長してんだ。馬や鹿なんかより強いんだ。

人間は角を馬鹿にしたあとに決まって餌をくれんだ。馬鹿にしてやがる。何度だって言うが俺を馬鹿にするな。

だがまぁ、馬鹿にされたあとに食う餌はなぜだか最高に美味い。

ドライブデート

昔、当時住んでいた栃木市から千葉の海岸までドライブデートをしたことがあった。僕はそのとき19歳で免許は持っていなかったので助手席に座った。デート相手は僕より5つ上の女性でアルバイト先の先輩だった。

 

その日は朝から小雨が降っておりデート日和とは呼べない日だった。そのせいで僕はあまり乗り気じゃなかったけれど、彼女は「雨のドライブもなかなか楽しいんだよ。ほら、ワイパーが喜んでる」と言ってはしゃいでいた。

僕は事前に家で焼いてきたCDをカバンから取り出し、彼女に何も言わずCDコンポに入れた。その頃流行っていたJポップが10曲以上流れ、ようやく海が見え始めたときにサザンオールスターズの「希望の轍」が流れた。彼女が「あ、この曲大好き」と言ったので「マジですか、僕、この曲聴きながらドライブしてみたかったんです」と返した。完璧な流れだと思った。雨は降っていたものの海を見ながらドライブするだけでこんなに楽しいものなのかと思ったことを覚えている。

海沿いを堪能したあとは千葉市内の飲食店でご飯を食べ、栃木に帰った。栃木に着いた頃には辺りもすっかり暗くなっており車の数も少なくなっていた。

僕の家まであと数分のところで、信号機のない十字路をまっすぐ行こうとしたとき、右からタクシーが突っ込んできた。彼女は思いっきりブレーキペダルを踏みハンドルを左に切った。僕には何が起こったのかよくわからなかったが事故にはならなかった。死ぬかとは思った。彼女はとっさに僕の手を取り彼女自身の胸に当て、息も絶え絶え「死ぬかと思った。ほら、もうバクバクが止まらない」と言い、僕も僕で興奮気味に「本当だ。でも僕たち死んでないです」と言った。僕は不謹慎にも笑ってしまい、それにつられて彼女も笑った。この瞬間、僕は彼女のことを好きになった。

無事に家まで送ってもらい、車から降りて僕は「先輩、僕たちまだ生きてますよ」とまた興奮気味に言った。先輩は少し引きつった笑顔で頷いた。その夜は朝まで眠れなかった。

 

 

柚子

今日、散歩がてら彼女を連れて僕の実家に行った。今彼女と住んでいる家から僕の実家までは30分ほど歩いた場所にある。彼女を連れて行くのはこれで5回目だ。

なぜか実家では誰かのお祝いのように豪勢な食事が並んでいた。母に「今日何かあったっけ?」と聞いたら、「イ・スンギ」と答えた。忘れていた。母は大好きな韓流ドラマの俳優の誕生日を祝うのが好きだった。父はただただ用意された豪勢なご飯を食べるだけで特に何も言わない。

彼女は僕の母と気が合うので会う度に2人して結構なお酒を飲む。母と楽しんでいる彼女を見ると、彼女のことがますます好きになる。

帰り際、母から「美味しいわよ」と言われ柚子をもらった。彼女は嬉しそうに「ありがとうございます。柚子ネードでも作ります」と言った。

めずらしく酔っ払い寝てしまった彼女をおんぶして家に帰った。彼女を寝室のベッドまで運び、僕はリビングで水を飲んだ。さっき母からもらった柚子がないことに気づいた。彼女が手に持っていたはずだから帰る道の途中で落としてしまったのだろうと思い、歩いてきた道をまた戻った。数分歩いたところに柚子は落ちていた。あったはあったが、カラスか何かに突かれたのか袋に穴が開いており半分以上はボロボロになっていた。持ち帰ってごみ箱に捨てた。彼女は相当酔っ払っているので、きっと明日になっても柚子のことは覚えていないだろう。このことは彼女に何も言わずそっとしておこうと思う。

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しゃぶしゃぶ

数年前、住んでいる街の駅前に屋台のラーメン屋があったので1度だけ入ったことがある。

帰る道すがら何度かその屋台を目にしたことはあったけれど、小心者の僕としては客の距離が近いし食べてるところを誰かに見られるのも嫌なので見て見ぬ振りをしていた。ただその日だけは、客が1人もいなかったので少し勇気を出して入ってみた。

店主は意外にも若く、若かりし頃の加山雄三に少し似ていてハツラツとしていた。席は4つで左端に座った。味噌ラーメンとビールを頼んだらすぐに出てきて、カップラーメンよりも早いなと思ったことを覚えている。そこまで腹が減っていたわけでもないし自分以外誰もいなかったのであまり急がずに食べた。すると間もなくして自分と同世代くらいの男性の客が右端に座った。その男性は店主に「いつもの」と頼み、すごい速さで醤油ラーメンか何かを平らげて出て行った。店主に「あの人速かったですね」と言うと、店主はナルトをつまみ食いして「まぁ、人生ってのはさ、俺たちが思ってるより遥かに早いスピードで終わんだよ。あっという間だぞ」と言ってニコっと笑った。味噌ラーメンの味はまあまあだった。

 

それから数日後、暇つぶしに新聞を読んでいたら「屋台でドラッグ販売」という見出しの記事があった。まさかと思い、よくよく読んでみると、数日前、味噌ラーメンを食べたあの屋台だった。どういう手法で売っていたかというと、スープを全て飲み干すと器の底にパッケージされたシャブがあるという仕組みだったそうだ。

ラーメンもシャブみたいなものなのに、そのうえ本物のシャブって、しゃぶしゃぶじゃねぇかよというくだらないダジャレを思いつき、僕はゲラゲラ笑った。

お人好し

かもめが鳴いている。私は1人ベンチに腰掛け、近寄ってきた猫に「寒いですね、もうすぐ春ですよ」なんて声をかけた。首輪をつけている。食べ物なんて持ち合わせていなかったので猫はシュンとして他のほうへと行った。

 

彼はいつものように上下灰色のスウェットを着てコンビニに行ってくると言って出て行った。今日は何味の饅頭を買ってくるんだろうカレーまんは嫌だなとか考えながら化粧水を顔につけた。

10分程経って彼が帰って来た。彼は飲めないお酒をたんまり持って「別れよう」と言った。私はなぜかすんなり「はい」と言った。なぜとも思わなかったし抵抗すらしなかった。美味くも不味くもない酒を彼のペースに合わせちょびちょび飲み、彼との最後のセックスをした。

 

今思い出すと、私は彼によく「2人で一緒にお酒が飲みたいよ」と言い、彼は決まって「いつかね」と言っていた。

 

あのとき、すんなり「はい」と言ったのに今こうしてかもめの鳴き声を聞くために、ここへ来ている。かもめが一斉に翔び立って行った。

 

寒いですね、もうすぐ春ですよ。

ライトフライ

職場に右田 (みぎた)という苗字の上司がいる。いつも珍しい苗字だなと思いながら名前を呼んでいる。先日、いつものように右田さんと名前を呼んだときに、ふと思った。もし右田さんが、恐らくいないだろうとは思うが、左田(ひだりた)という苗字の人と結婚するとなると苗字はどうするのだろうかと。

今の時代は世間的にも夫婦別姓や妻の姓を名乗ることに寛容になってきたとニュースで見た。

右田さんが左田さんを名乗ろうとも、左田さんが右田さんを名乗ろうとも、どちらにせよ一般的な苗字の夫婦より少し心が落ち着かなさそうである。今まで右で呼ばれてたのに、左で呼ばれてたのに、右を信じてきたのに、左を信じてきたのに、と心の声が聞こえてきそうだし、すぐに破綻しそうな気がしてしょうがない。

もし自分がこの2人のどちらかで姓を選択しなければならなくなったとき、迷わず左田を選ぶだろう。

左へ曲がれば光る海のようなものが見え、いつまでも続いてほしいと思える美しい瞬間がきっと待っているから。

女のコからオンナへ

仕事帰りデパートの中にある本屋で雑誌を立ち読みしていたら、その本屋の丁度向かい側に最近オープンしたらしいコンタクトレンズ屋さんで店員が眼鏡をかけた女子中学生に対して身振り手振り熱心にコンタクトの説明をしている様子が見えた。女子中学生は女子中学生らしくスカート丈が長くアディダスのスニーカーを履いているし、きっとうぶな女の子だろう。店員の話を上の空で聞いてるようにも見えた。話の内容は聞こえない。雑誌を読むふりをしてその2人の動きをじっと見た。相変わらず店員は店員で大きいそぶりで説明をしている。その店員が途中で腰を屈めたとき、女子中学生が少しだけ後ずさった。なぜだろう。何かしら希望を抱いてそのお店に入ったはずなのに、店員の話を聞いて今日と明日の自分の変わり様に少し驚いたのか。いじめられたり、好きな男の子に引かれたりしないか、と不安になったのか。明るい未来が待っているといいな。その女子中学生がコンタクトを買ったのかどうかはわからない。

1年ほど前、本屋で働いていた頃、同僚の女の子が急に眼鏡からコンタクトに変わっていて、大人っぽくなり少し色気も感じられた。それに気づいた時、もしかしたら彼女は俺に何かしらアピールするために変えたんじゃないかと思い出勤する度にドキドキした。その数日後、彼女は職場の同僚と付き合い始めたという噂を聞いた。水たまりに飛び込みたくなった。