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晴れのちくもり

見知らぬ街をぶらぶらと彷徨っていたらどこからともなく塩素の匂いがした。これは銭湯が近くにあるのかもしれないと思い、煙突が見えまいかと上を見ながら歩いていると後ろから「あ、危ない」と女性の声がした。立ち止まって振り返ると、灰色のコートを着た女性が口に手をあてて目を丸くしていた。私が「どうかしました」と聞くと彼女は「足下」と言った。そう言われて自らの足下に目を遣ると右の靴の側面から茶色の物体がはみ出していた。

「うわ」

「ごめんなさい」

「どうして謝るんですか」

「もう少し早く声を」

「いや、気づかなかった自分が」

彼女は何も言わずに申し訳なさそうな顔をして鞄からコンビニの袋を取り出し渡してきた。とりあえず受け取り「ありがとうございます」と私は言った。女は頭を下げて小さな声でまた「ごめんなさい」と言った。自分の不注意で糞を踏んだだけなのにこんなにも謝られるといたたまれない気持ちになった。息を止めて靴を脱ぎ、貰ったコンビニの袋に入れた。彼女が立ち去ろうした瞬間私は思わず「あのよかったら一緒に銭湯でも」と言った。自分でもなぜこの言葉が出たのかわからないし、ただ塩素の匂いがしただけでそもそも銭湯がこの近くにあるのかも定かではない。一緒に、とは言ったが別に混浴に入るわけでもない。これはセクハラの類いになるのだろうか。彼女はまた目を丸くした。

「銭湯ですか」

「はい」

「銭湯」

「匂いがしたもので」

見知らぬ土地でよく知らない人と話したりすることがただ嬉しかった。またぷーんと塩素の匂いがした。彼女は「それは嫌です」と言い一礼して去っていった。靴下の上からでもアスファルトの冷たさが伝わってきた。